Wladimir Kaminer を聞いて疎外感を楽しむ遊び

わたしは大学は文学部人文社会学科独文学専攻卒で日本に住む全員を平均した一人を仮想的に作ってみるとその人から「やや変な人寄り」の評価をいただける程度であろう人間ですが、もう日常的に外国語に触れる機会のない現在でも、英語とドイツ語を比べると語彙数は英語のほうがやや多いものの辞書が手元にある環境ではドイツ語の方が意味の把握がスムーズでクリアです。

というのは読みの話で、聴いて内容が全部わかるとかめったにない。
でも内容がわからなくても、というよりわからないから楽しい遊びがあって、それが、「Wladimir Kaminerを聴いて疎外感を楽しむ遊び」です。

CDはこれを使います。


AUDIOBOOKS MAGAZINEのUnveröffentlicht. Wladimir Kaminer Liveのページに行くと、Hörprobe (MP3)っていうリンクがあるのでそこで視聴できます。
http://www.audiobooks.at/Unveroeffentlicht_Wladimir_Kaminer_Live.id.6864.htm

ドイツには自分の書いた小説を自分で朗読する文化があるらしくて、これは Wladimir Kaminerが自分で書いた小説を自分で読むイベントのライブCDで、面白いことを喋っているわけですが、自分にはさっぱりわからない。ほんとのことを言うとぼんやりと意味はわかるんだけど笑いに直結するほど理解はできない。でも聴衆は爆笑していて、すんごい置いてけぼり感を感じる。

っていうのが面白い。


別にWladimir Kaminerでなくてもいいしドイツ語でなくてもいいので、中途半端に理解できることもある言語の音声(これ重要。そうでなければ聴くことを最初から諦めてしまう)で、特に面白くて聴衆の笑い声が入っているもの(これも重要)を選んでぜひやってみてください。そこそこ面白いから。おすすめの楽しみ方はiTunesとかiPodとかランダム再生のできるもので、他の曲の合間に突然入るようにしておくことです。いきなりアウェーでいきなりお楽しみいただけると思う。

なぜこの遊びが面白いのか考えてみたんだけど、それは安全な位置で純粋に疎外感だけを発生させられるからだと思う。
もしこの疎外感を日常生活で感じることがあれば、それはおそらく不快だろうし焦るし不安になる。
疎外感を感じる→人間関係をうまく構築出来ていない→一緒に行動しないといけないときに問題が生じやすく辛い というところまで想像するから、不快で焦って不安。というふうに、疎外感は通常他の感情を引き寄せながら発生する。
それがこの遊びでは、疎外感を感じても聴衆と一緒に行動しないといけないときは永遠に来ないので何も心配することはないわけです。だから存分に疎外感を味わうことができます。

高校生の時に「芸術とは感情発生装置」と自分で定義付けをして以来、その定義を採用し続けているわりに芸術論は勉強してないからこれが妥当かどうか怪しいんだけど、この「疎外感発生装置」を万人向けに(少なくとも日本人向けに)作ることができたら芸術かもなあと思う。


ところでWladimir Kaminerさんですが、面白い人ですので気が向いたら調べてみてください。ちなみにわたしはこの人を卒論で取り上げようかと思ったんだけど、現在生きているしそのせいで先行研究もないしで諦めた経緯があります。日本語文献とか皆無。調べてみてくださいとか言ったけど。だれかデキる人。
たしか、ロシア人なんだけどベルリンの壁崩壊のあたりのどさくさにまぎれてドイツに来て、ドイツ語で小説を書いたりDJしたりラジオしたりしているかっこいいおじさんだった。

参考)
Wikipedia(ドイツ語だけど)→http://de.wikipedia.org/wiki/Wladimir_Kaminer
Russendisko(ドイツ語だけど)→http://beta.russendisko.de/de/russendisko/

Russendiskoで紹介されてるこの動画かっこいいよね。Unveröffentlicht. Wladimir Kaminer LiveのCDにもおんなじような感じの音楽が収録されていて痺れる。かっこいい。おっさんかっこいい。一番左の人とかトランクみたいなケースをペットボトルで叩いているだけだけどかっこいい。


あとどうでもいい報告ですが、さっきゴキブリ捕まえました。